そのころ狄仁杰という名宰相がいた。能吏の誉れ高く、民に敬爱されていた。
武后は実子を廃して自ら帝位についたため、武氏の一族には、この际女帝を笼络し、あわよくば武后から帝位を譲ってもらい、皇帝になろうという不逊な考えを持つ者が现われはじめた。惊いた狄仁杰は、张柬之とともに、面をおかして武后をいさめた。
「御実子の中宗がおいで游ばすにもかかわらず、他人に位をお譲りになることは天意に反しますし、それでは宗室の万全を期し得ません。
太宗皇帝が千军万马の苦労をなされたのも、ひとえに御子孙の长久を愿われたためです。
いまこれを他族に移すとは何ごとですか。
陛下は一体、自分のお子と、姑や侄と、どちらを大切におぼしめすのですか?」
これには、さすがの武后も反论のしようもなく、ついにはこの动きは封じられてしまった。
武后は女ながらも帝位につくぐらいの男まさりだっただけに、才色兼备、知能俊敏、思虑も深く、その裁断は明快で、よく名臣の言をきいたため、政治は概ね巧くいった。これには狄仁杰の力が大きくあずかっていたことはもちろんのことだ。それだけに武后も、仁杰には?国老?の称号を与え、狄が死んだと闻くと、声を上げて叹き悲しんだという。
仁杰は多くの人材をひき立て武后に推荐して用いさせ、その数は姚元崇ら数十人に及んだ。みな仁杰を尊敬してその门に集った。ある人がいった。
「天下の明果珍宝がみんなあなたの家にありますね。」
仁杰はいった。
「贤臣を君にすすめるのは国のためです。
私情からではありません。」
この仁杰が重用した人の一人に、元行冲という、博学で万事に通じている人材がいた。その行冲があるとき仁杰にいった。
「あなたの门には珍味がたくさんありますから、食べ过ぎて腹をこわさないよう、私のような薬の粉末みたいな人物も加えて下さい。」
仁杰は笑って答えた。
「とんでもない。
君は私の薬笼中の物だ。(吾が薬笼中の物なり)一日もなくてはかなわない大切な人物だよ。」
この话は?唐书?の?狄仁杰伝?にのっている。
やがて武后も八十三歳となり、よる年波には胜てず病気になった。中宗はこの机をとらえ、武后に譲位を强要、则天大圣の称号と引きかえに位をゆずらせた。ここに周は十五年にして终り、世は再び唐となった。
だがこれは狄仁杰が死んだのちの出来事である。
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